「礼拝とは何か」森史子牧師
詩編42編2-7a節 / ヨハネによる福音書4章23-24節 2026年10月11日
「涸れた谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの魂はあなたを求める」(詩編42:1)
人類は本能的に礼拝する生きものです。そして、人間は礼拝する誰かを、または何かを求めています。しかし、礼拝が何であるか?誰を礼拝するのか?どのように礼拝するのか?知りません。聖書は何と言っているのか? 礼拝を三つの言葉(英語)で伝えています。
①Service「神に仕える」 ②Worship「神に栄光を帰す」 ③Liturgy「皆で捧げる」
<皆で共に集い、神をほめたたえ、神に仕える>
礼拝は神との交わりの時、神の語りかけがあり、人から神への応答と賛美がある。
イエス・キリストはヨハネ4:23-24で、礼拝について話しておられます。キリストは私達に「霊と真理」をもって礼拝するようにと命じられました。「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」
真理は、イエス・キリストと共にあり、キリストを信じ従う者は、真理を持つ者です。
使徒パウロの言葉「私たちは神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇りとし、肉に頼らないからです」(フィリピ3:3b) これこそ、真の礼拝者です。
その人はイエス・キリストを信じる信仰により救われ、聖霊が内に住んでいる人です。
主イエスの死を告げ知らせる聖餐式、主に向かって心から捧げる讃美、献金を捧げることにも、感謝が湧きあがります。そして、私たちの祈りは神にのみ捧げます。説教や聖書も真の礼拝の重要な一部で、聖霊に頼って語り教えます。全ては聖霊が導いて下さいます。
礼拝は、すべての生活の始まりであり、中心であり、土台なのです。
水を慕い求める鹿のようにイエス・キリストに近づき、もっと親しく語り合いましょう。
大泉ベテル教会に集い、唯一まことの生ける神に礼拝を捧げていきましょう。