「神の言葉を語りだす」柳澤宗光牧師

歴代誌下15章1-8節 / 使徒言行録4章13-31節    2026年6月7日

今朝、私たちに与えられている二つの御言葉には、深く響き合う主題があります。それは、神を尋ね求める者を、主は見捨てず、御言葉によって立たせてくださるということです。そして、神に立たされた者は、恐れの中でも御言葉を語る者へと変えられていくということです。


歴代誌下15章では、ユダの王アサが、預言者アザルヤの言葉を聞きます。「あなたたちが主と共にいるなら、主もあなたたちと共にいてくださる。もし主を求めるなら、主は御自分を示してくださる」。主を求めるとは、ただ神を思うことではありません。自分の生き方の中心を、もう一度、主に置き直すことです。


イスラエルは、神の言葉を失い、礼拝を失い、主を求めなくなった時、混乱の中に置かれました。歴代誌下15章6節には、国と国、町と町が互いに破壊し合ったとあります。神を見失う時、人は隣人を兄弟姉妹として見ることができなくなります。疑い、奪い合い、平和が失われていくのです。しかし、苦悩の中で主に立ち帰った時、主は御自分を示してくださいました。


そして主は言われます。「勇気を出しなさい。落胆してはならない。あなたたちの行いには、必ず報いがある」。アサ王はこの御言葉によって勇気を得て、偶像を取り除き、主に立ち帰る改革を進めました。御言葉は、人を慰めるだけでなく、恐れの中にある者を立ち上がらせます。


使徒言行録4章では、ペトロとヨハネが、イエスの名によって語ることを禁じられます。しかし彼らは、「見たことや聞いたことを話さないではいられない」と答えました。かつて主を否んだペトロが、復活の主の赦しと聖霊の力によって、御言葉を語る者へと変えられたのです。


教会もまた、恐れの中で祈りました。彼らは迫害がなくなることではなく、「大胆に御言葉を語ることができるように」と祈りました。教会は、問題がすべて解決してから立ち上がるのではありません。不安のただ中で祈り、聖霊に満たされ、御言葉を語りだすのです。


私たちも、主を尋ね求め、祈りに立ち、神の平和と愛を語る者とされます。神を失う時、平和を失います。だからこそ、聖霊に導かれて、神の言葉を語りだすのです。

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