「わたしの神よ」 柳澤宗光牧師

民数記13章1-2節,17-33節 / ヨハネによる福音書20章19-31節  2026年4月12日

今朝、与えられている御言葉は、民数記13章とヨハネによる福音書20章です。旧約では、約束の地を前にしたイスラエルの民が、偵察の報告によって恐れに支配され、不信仰へ傾いていく姿が描かれます。新約では、十字架の後、恐れのために戸を閉ざしていた弟子たちのただ中に、復活の主が立ってくださる場面、そして疑いの中にいたトマスが「わたしの主、わたしの神よ」と告白する場面が語られています。


民数記13章で、偵察した者たちは、カナンの地が豊かな土地であることを見ました。しかし同時に、強い民、大きな町、巨人のような人々を見て、「自分たちはいなごのようだ」と恐れました。彼らは現実を見たのですが、その現実の中で神の約束を見失ってしまったのです。しかしカレブは、「上って行こう。必ず勝てる」と語りました。違いは、見ている景色ではなく、何を中心に見ているかです。一方は敵の大きさを見、一方は神の大きさを見ていました。


ヨハネ20章でも、弟子たちは恐れの中で戸を閉ざしていました。そのただ中に復活の主が来て、「あなたがたに平和があるように」と語られます。ここに福音があります。主は、私たちが信仰に満ちている時だけでなく、恐れ、心を閉ざしている時にも来てくださるのです。しかも主は、十字架の傷を負ったまま立っておられます。私たちの痛みを知らない方ではなく、傷を負ってなお生きておられる主です。


トマスは、主に出会った弟子たちの証言を聞いても信じることができませんでした。しかし主は、そのトマスを見捨てず、もう一度来て、彼の疑いに向き合われました。その時トマスは、「わたしの主、わたしの神よ」と告白します。これは、単に神の存在を認める言葉ではなく、この主が「わたしの主」であり、「わたしの神」であるという、人格的な信仰告白です。


私たちもまた、現実の大きさに圧倒され、自分が小さく思えることがあります。恐れのために心を閉ざすこともあります。しかし、そのただ中に復活の主は来てくださいます。そして私たちを平和へ、信仰へ、新しい命へと招いてくださるのです。だから今日、私たちもまたトマスと共に告白したいのです。「わたしの主、わたしの神よ。」      

  

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