「あなたを遣わす」柳澤宗光牧師

アモス書7章10-15節 / マルコによる福音書6章1-13節    2026年6月21日

アモス書には、預言者アモスが、ベテルの祭司アマツヤから退けられる場面が記されています。アマツヤは言います。「ここは王の聖所、王国の神殿だから」。神の家であるはずの場所が、いつの間にか王の秩序を守る場所となっていたのです。しかしアモスは、自分から預言者になったのではありません。「主は家畜の群れを追っているところから、わたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と言われた」と語ります。彼を立たせたのは、資格や力ではなく、主の召しでした。


マルコによる福音書では、主イエスが故郷ナザレで拒まれます。人々は「この人は大工ではないか」と言い、身近な姿の中に神の言葉を聞くことができませんでした。神はしばしば、私たちの予想を超えた小さな者、弱い者を通して語られます。しかし、人間はそれにつまずくのです。


その拒絶の直後、主イエスは十二人を遣わされます。「旅には杖一本のほか何も持たず」と命じられました。これは、自分の力や持ち物ではなく、神に信頼して歩む招きです。受け入れられない時は、足の埃を払い落とし、すべてを神に委ねるのです。


この御言葉は、大泉ベテル教会にも響きます。私たちは大きさや力を誇る教会ではありません。いずみ寮、シュベスターらの祈り、ベテスダ奉仕女母の家の歩みの中から生まれた、小さな教会です。しかし主は、小さな者を取って遣わされます。


教会は「王の聖所」ではありません。主の言葉に聞き、正され、慰められ、遣わされる場所です。力は小さくてもよい。持ち物は少なくてもよい。主が共におられるからです。今日も主は言われます。「あなたを遣わす」と。 

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