「強く雄々しくあれ」 柳澤宗光牧師
ヨシュア記1章1-9節 / 使徒言行録2章1-11節 2026年5月24日
今日は、ペンテコステ・聖霊降臨祭を迎えています。主イエスの弟子たちに聖霊が降り、教会が新しく歩み出した日です。また、今日は聖餐式にもあずかります。聖餐は、十字架と復活の主が、弱さを抱える私たちを恵みの食卓へ招いてくださるしるしです。私たちは、強いから招かれるのではありません。老い、病、不安、心の弱さを抱える私たちだからこそ、主は招いてくださるのです。
ヨシュア記1章で、主はモーセを失ったヨシュアに語られます。「強く、雄々しくあれ」。それは、自分の力で頑張れという命令ではありません。恐れを押し殺しなさいということでもありません。その根拠は、ただ一つです。「あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる」という約束です。神がいつも共におられる。だから、強く雄々しくあれ、と主は言われるのです。
私たちも、人生の中で多くの「終わり」を経験します。健康な時代の終わり、慣れ親しんだ生活の変化、愛する人との別れ。その時、もう前には進めないと思うことがあります。しかし、終わりは神の御業の終わりではありません。主は悲しみの中にも共におられ、なお道を開いてくださいます。だからこそ、私たちは弱さを抱えたままでも、強く雄々しく歩むことができるのです。
この強さは、若さや体力の強さではありません。主が共におられることを信じる強さです。「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。その御言葉を心に留める時、聖霊は私たちを支え、「あなたは独りではない」と励ましてくださいます。
使徒言行録2章では、恐れていた弟子たちが聖霊に満たされ、神の大きな業を語る者とされました。弟子たちも、もともと強い人たちではありませんでした。しかし、神が共におられ、聖霊が彼らを立ち上がらせたのです。
私たちも同じです。祈ることしかできないと思う時、その祈りが教会を支えます。小さな一言が、隣人を慰めます。聖餐の恵みにあずかる私たちは、主がいつも共におられる約束を新しく受け取ります。神が共におられるのだから、うろたえなくてよい。おののかなくてよい。主は今朝も私たちに言われます。「強く雄々しくあれ」。