「言(ことば)が宿られた」柳澤宗光牧師

イザヤ書52章7-14節 / ヨハネによる福音書1章:1-14節   2025年12月21日

クリスマスの朝、私たちは「良い知らせ」(イザ52:7、ヨハ1:14)を聞くために集められ
ています。イザヤ書52章では、捕囚の民に救いを告げる使者の足が「いかに美しい
ことか」と歌われます。神は常に民と共におられたにもかかわらず、民は神を侮
り、遠ざけていました(イザ49:7)。しかし、民が悔い改めた時、神の救いが「良い知
らせ」として再び響きます。

この預言はクリスマスにおいて成就しました。ヨハネは「言は肉となって、わたし
たちの間に宿られた」と告げます。神の言葉そのものが人となられ、私たちの苦し
みと喜びのただ中に来られました。飼い葉桶の幼子は、弱さの中で神に委ねて眠
り、そのへりくだりの姿にこそ、神の栄光が輝きます。弱さの中に現れる強さ、そ
れがクリスマスの光です。

イザヤは、神の臨在が再びシオンに戻ると語ります(イザ52:8)。神は民に遠ざけられ
ながらも共におられ、愛ゆえに忍耐されました。民が悔い改めた時、「主が帰
られるのを見る」とは、民が神を見つめ直したことを意味します。弱くされた神
が、弱さの中でこそ強さと栄光を示されました。

ヨハネは、イザヤの預言が「受肉」によって成就したと語ります。インマヌエルの
神が誕生し、神の言葉であるロゴスが私たちの間に宿られました。もはや神は遠い
存在ではなく、私たちの苦しみ・罪・希望のただ中に共におられます。雲の柱や火
の柱に代わり、キリストご自身が私たちと共に歩まれる方となられました。

さらにイザヤ53章は、苦しむ僕としてのメシアの姿を描きます。軽蔑され、痛みを
負い、私たちの罪のために刺し貫かれた方。外見が損なわれるほどの苦難の中にこ
そ、神の栄光が輝きます。神の栄光は力や威厳ではなく、へりくだりと犠牲の中に
現れます。十字架こそ神の愛の極みであり、「言の栄光」が最も深く示された場所
です。

「言は肉となって宿られた」とは、神が私たちの生活のただ中に入り込まれたとい
う驚くべき事実です。病床にも、孤独の夜にも、悔い改めの祈りにも、主は確かに
宿られます。

クリスマスとは、神が遠くから救いを告げた日ではなく、私たちのただ中に降りて
来られた日です。弱さの中に宿られ、へりくだりの中に栄光を現し、苦しむ者と共
に歩まれる神。その神が今も、私たちの人生の荒野に宿ってくださっています。

今日、「言が宿られた」。この良い知らせを新たに受け取り、神が共におられると
いうクリスマスの喜びを、心に刻みます。      

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