「希望を持て」 西間木公孝牧師(下石神井教会)

  出エジプト記6章2~13節    2025年11月16日

 出エジプト記は神の救いの出来事の書です。出エジプト記という書名からもわかるようにイスラエルの民がエジプトを脱出する物語です。ヨセフは神の恵みのうちにエジプトで死にます。その後、イスラエルの人々はエジプトでおびただしく数が増し、ますます強くなって国中に溢れました。このことは、エジプト人にとって不安の種となり、ヨセフを知らない新しい王はイスラエル人に強制労働、重労働を課します。そして出産の際、イスラエル人の男児を殺害するように命令して、イスラエルの人の力を削ぎました。このような中に生まれたのがモーセです。

 モーセは生まれてから三か月間、隠されましたが、隠しきれなくなり、モーセの姉がナイル川の河畔の葦の茂みにモーセを置きました。それを王女が不憫に思い、モーセを拾い、王女の子としたことからモーセの物語は始まります。モーセという名前は「引き上げる」とか「救われる」という意味の言葉です。

 モーセは殺人の罪を犯し、エジプトから逃げます。そこでモーセは召命を受け、エジプトに戻ります。モーセはエジプトからイスラエルの民を脱出させるための交渉をしますが、うまくいきません。モーセの思いは打ち砕かれます。そんなモーセに神は「わたしは主である」と言われました。「わたしは主である」という言葉は神の名というだけでなく、わたしはあなたの盾、力、命という意味ではないかと思います。だから心配するなと。

 イスラエルの人々は過酷な生活ゆえに救いの言葉を聞いてもあきらめます。モーセも深く傷つきました。しかし、神はそれでも救いを語れと言います。あなたは神の救いの業を見ることになる。

 大泉ベテル教会の創設に尽力した深津文雄牧師は社会福祉施設を設立するのに何度も困難に直面しました。そこで、知らされたことはこれらの事業は人がするのではなく、神がなさることだということでした。困難の中に神は働き、わたしたちを導いてくださる。だから、わたしたちはどんなに苦しい状況にも必ず救いが来ることを信じて生きます。

 

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