「あなたの神はわたしの神」 山本 愛神学生 

ルツ記1章8-18節         2026年1月18日

ルツは義理の母ナオミに言います。「あなたの民はわたしの民 あなたの神はわたしの神」。モアブ人であるルツにとって、ナオミの神、つまりイスラエルの神は本来、自分の神ではありません。なぜルツはそのように告白することができたのでしょうか?そしてまた、私たちも問われます。私たちは誰の民なのか?そして私たちの神は、誰の神なのでしょうか?

移り住んだ異国の地モアブで、夫と息子たちに先立たれたナオミは、ユダのベツレヘムへ帰ることにします。息子たちの嫁であったオルパとルツは、ナオミに従おうとしますが、ナオミはそれを認めません。ナオミは「わたしの娘たち」に、主の名によって慈しみを願います。孤独になってしまうとしても、二人を自分の人生に巻き込むわけにはいきません。ナオミの苦しみはもっともです。何よりもこの苦しい状況を「主の御手がわたしに下された」と捉えているのですから。

ついにオルパは去っていきますが、ルツは「すがりついて離れ」ません。ルツは「あなたの民はわたしの民 あなたの神はわたしの神」と告白し、主の名にかけて、つまりナオミの神、義母を苦しめるイスラエルの神の名にかけて、ナオミと共に人生を歩むことを誓います。この言葉と場面は、創世記2:24と重なります。ルツとナオミは、神によって結び合わされました。もはやルツにとっての帰る場所とは、故郷モアブではなく、信仰共同体であるナオミの元です。

忠実なルツはすばらしい女性ですが、私たちは時に、信仰共同体である教会の中でさえ、うまくいかないこともあります。「あなたの神はわたしの神」と、誰にでもすぐ言えるわけではないかもしれません。しかし私たちははじめ、誰かを通して示された神を自分の神として受け入れました。そして一人の神によって、一つの礼拝に招かれる者となりました。

私たちにも「主の御手」が苦く感じられる瞬間があります。自分の神を告白することが、苦しい時もあります。しかし教会とは「あなたの神はわたしの神」と告白し合える神の民です。ルツはダビデの系図に、そしてイエス・キリストの系図に連なります。主の御手によって十字架につけられたこのキリストが、教会の頭です。神に結び合わされた信仰共同体として、互いに私たちの神を告白し合い、教会の歩みを続けていきましょう。

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