「神の熱心な愛」 柳澤宗光牧師
ゼカリア書8章1-8節 / ルカによる福音書2章41-52節 2026年1月4日
● はじめに
降誕節は、クリスマスの喜びを一日で終わらせず、「神が人となられた」出来事を私たちの生活に深く刻む時です。公現日を迎えるこの季節、幼子イエスの誕生を祝った私たちは、神の民の中で、幼子イエスがどのように成長し、働かれるのかに思いを向けます。
今日の二つの聖書箇所は、ゼカリア書の預言とルカ福音書の物語が響き合い、「神は民を決して見捨てない」という一点を力強く証しします。その根底にあるのが「神の熱心な愛」です。
● 熱情の神
捕囚から帰還した民は、荒廃した神殿と町を前に深い不安に陥りました。しかし神は〔沈黙〕の中に隠れておられたのではなく、時を満たして語られます。「わたしはシオンに激しい熱情を注ぐ」。「神の愛」とは、契約を守り抜く熱情です。弱者が踏みにじられることを見過ごさず、契約を破る民でさえ回復へ導こうとする、揺るぎない愛です。「彼らはわたしの民となり、わたしは真実と正義をもって彼らの神となる」。これは歴史的回復の約束であると同時に、神の民に与えられる「平和を思う心」の根拠です。
● 12歳の少年イエス
過越祭の帰路、両親は12歳のイエスを見失います。宗教的成人である13歳を目前にした年齢ゆえ、両親は互いに帰るため編成される「別の隊列にいるだろう」と思い込んでいたからでしょう。三日後、出発点に戻ると、神殿で律法学者たちと語り合うイエスを見つけます。「わたしはわたしの父の家にいるのが当たり前だ」。少年イエスはすでに、自らの使命と父なる神との関係を自覚し始めていました。「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛されます」。神の愛は、受肉した御子の成長を通して、人間の生活のただ中に深く入り込んでいます。
● 終わりに
ゼカリア書は、荒廃した現実の中で民を回復へ導く「熱情の神」を示し、ルカ福音書は、少年イエスの成長を通して、神が人間の現実に寄り添う姿を示します。どちらも「神は民を見捨てない」という愛の誓約を語ります。
降誕節のこの時、私たちは「神の熱心な愛」に立ち返り、「隣人を自分のように愛する心」を新たにされます。どんな困難の中でも、神は必ず支え、寄り添い、救ってくださる。その「希望」こそ、私たちの歩みを支える光です。