「消えぬ言葉」 柳澤宗光牧師
エレミヤ書36章1~10節/マルコによる福音書7章1~13節 2025年12月7日
「消えぬ言葉」は、エレミヤ書36章とマルコによる福音書7章を通して、「神の言葉」の不滅性と「人間の応答」を問いかけています。
エレミヤ書では、神が語られた言葉を巻物に記すよう命じられ、バルクが民に読み聞かせます。その目的は、災いを告げること自体ではなく、民が「悔い改めて立ち返ること」にあります。神は裁きよりも赦しを望まれ、そこに憐れみと愛が示されています。王ヨヤキムは巻物を焼き捨てますが、神は再び同じ言葉を記させます。
人間が拒絶しても、神の言葉は消えず、「忍耐と愛」によって語り継がれるのです。「主の慈しみは決して絶えない」(哀歌3:22-23)とあるように、神は決して諦めず、愛し抜かれる方です。
一方、マルコ7章では、律法学者たちが人間の言い伝えを絶対化し、「神の言葉」を空しくしています。主イエスは「口先ではわたしを敬うが、心はわたしから遠く離れている」と断罪し、偽善を指摘されます。神の言葉は人間の戒めとは異なる次元にあり、真理と命を与えるものです。
この二つの箇所は、神の言葉が人間の思惑や伝統によって歪められ、拒絶されても、なお生き続ける「消えぬ言葉」であることを示しています。「神の言葉」は慰めであると同時に、「悔い改め」を促す厳しい言葉でもあります。しかしそれはすべて「愛の言葉」であり、私たちを立ち返らせ、真理に生きるよう導きます。
主イエスは最も大切な掟として「神を愛し、隣人を愛すること」を示されました。これこそが信仰の中心であり、律法の根幹です。ここで「神の言葉」を捨てることは「神の平和」を捨てることに等しく、今日の世界の戦争や暴力もその罪の現れです。
待降節の灯火のように、「神の言葉」は闇の中で輝き続けています。焼かれても消えず、言い伝えに覆われても空しくならない「消えぬ言葉」として、私たちを悔い改めへと招き、真理を語り、隣人を愛する歩みへと導きます。神の憐れみと忍耐、そして決して諦めない愛に支えられながら、私たちは今日、新たに「主の平和」の道へと歩み出すのです。