「神に倣い愛に生きる」 柳澤宗光牧師  

  出エジプト記20章1~17 節 / エフェソの信徒への手紙5章1~5節    2025年10月5日

今朝の御言葉は、出エジプト記20章の「十戒」と、エフェソ書5章の「神に倣う者となりなさい(エフェ5:1)」という勧めです。旧約と新約、それぞれ異なる時代に与えられた言葉ですが、共通して「神の民はどのように生きるべきか」という問いを私たちに投げかけています。

「十戒」は、奴隷のくびきから解放された民に与えられた自由の道しるべです。「殺してはならない」という掟は、命の尊厳を守るための戒めであり、個人の暴力だけでなく国家の暴力にも向けられています。今日の世界では、ガザ地区などでの悲惨な戦争が続き、子どもたちの命と心が深く傷つけられています。こうした現実に対し、「十戒」は命を守り、互いに支え合う秩序を示しています。

しかし、人間は「十戒」を完全に守ることはできません。心には妬みや偽りが潜み、偶像を抱えてしまいます。偶像とは、権力や金銭、名誉欲など、自らの欲望を神のように崇めることです。「十戒」は、私たちの限界を映す鏡であり、神の憐れみなしにはその理想に到達できないことを教えています。

エフェソ書では、「神に愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい」と語られます。キリストは敵さえも愛し、命を捧げて平和を実現されました。私たちもその愛に倣い、貪欲を捨て、互いに仕え合う歩みを求められています。パウロは「貪欲な者は偶像礼拝者である」と断言し、侵略戦争の根底にある貪欲を戒めます。

平和を守るには、欲望に支配される生き方から離れ、キリストの愛に倣うことが必要です。「十戒」の最後の戒め「隣人の家を欲してはならない(出20:7)」は、国と国が互いに尊重し合うための指針でもあります。

聖書は、「殺すな」「貪欲を捨てよ」「平和を実現する人々は幸いである(マタ5:9)」と語り、私たちに「戦争のない平和を求めよ」と迫っています。日常生活の中で、私たちは戦争を起こすことはありませんが、「力による解決」や「報復」を当然と考えることが、無意識のうちに戦争に加担することにつながります。

「神に倣う者」として生きるとは、憎しみや暴力に「否」と言い、「愛による平和」を築くことです。私たちの身近には、「茂呂塾保育園」「いずみ寮」「かにた婦人の村」「かにた作業所エマオ」があり、支え合う平和な生活があります。そこにこそ、神の子として生きる姿があります。

「赦し、和解、仕える愛」という小さな行動が、戦争のない平和へとつながると信じます。「神に愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい(エフェ5:1)」。この御言葉に従い、日々の生活の中で神の平和を祈り求めて歩みましょう。

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