「一つとされる恵み」 柳澤宗光牧師

 エゼキエル書37章15~28節 / コリントの信徒への手紙一1章10~17節    2025年9月21日

世界と教会はいつの時代も「一致」の課題に直面してきました。イスラエルは南北に分裂し捕囚の民となり、希望を失いました。その中で神はエゼキエルに二本の木を一つにする幻を示され、「わたしは彼らを一つにする」と約束されました。分裂を癒すのは人の努力ではなく、神ご自身の御手であることが告げられています。

新約のコリント教会もまた派閥争いに悩まされました。人々は「パウロにつく」「アポロに」と言い争いましたが、パウロは「ただキリストの十字架によって一つにされる」と語ります。現代社会の国々も「誰につくか」をめぐり分裂していますが、制度や宣言ではなく「キリストにつく」実践こそが問われています。

聖書の語る一致は妥協ではなく「主がただ一人おられる」という信仰に基づきます。キリストは隔ての壁を打ち壊し、敵意を滅ぼされました(エフェソ2:14-16)。十字架は人と人、国と国をも和解させる力です。

今日も世界は争いに満ちていますが、真の平和は神が働かれるときに実現します。教会は「平和を求める祈りの共同体」とされ、与えられた一致を守り育てる使命を担っています。 神は「わたしの住まいは彼らの中にある」と約束されました。黙示録が示すように、やがて涙も争いもない完成の平和が訪れます。教会は今この時も「平和の主キリストにあって私たちは一つです」と証しすることを使命としています。

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