「最初のしるし」 森 史子牧師

  ヨハネによる福音書2章1~12節 / コリントの信徒への手紙二5章17節 2025年9月14日

 今朝のメッセージ題は「最初のしるし」です。神はヨハネを通して、人間には知り得ない霊的真理を与えて下さいました。マタイ・マルコ・ルカの福音書は共觀福音書と呼ばれ、キリストの生涯の出来事を中心に書かれています。しかし、ヨハネの福音書は第四福音書と呼ばれ、神の霊的な視点を持って書かれています。 

ヨハネの福音書の中心は、「イエスは、キリスト(救い主)である」「イエスは、神が人となられた方である」「イエスは、罪人に永遠のいのちを与えるために来られた」この事実なのです。ですから「奇跡」と呼ばず、「しるし」と言う言葉を使っています。主イエスはカナでの婚礼で、キリストである「最初のしるし」を示されました。

救い主としての人生(公生涯)を歩み始め、数日後のことでした。この記事は、ヨハネ以外の福音書には書かれていません。彼は主イエスと共に招かれ、すべてを見ていました。

婚礼は1週間ほど続き、小さな村では大行事です。食べ物やぶどう酒を切らさず、有り余るほど出すのが中東の文化です。ぶどう酒がなくなることは、新郎の恥になり延々と語り継がれてしまうのです。ところが主イエスの母は、婚礼の最中にぶどう酒が無くなったことを知り、主イエスに告げました。

4節「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」主イエスの返事です。冷たく聞こえますが「婦人よ」は、丁寧な呼び方です。また、わたしの時とは、十字架と復活の時を意味します。主イエスは、その時に向かって公生涯を歩み出されたこと、同時に母と息子という肉的な関係は終わり、これからは神から与えられた時と方法に従うことを告げたのです。

すると母マリアは、すぐに自分の願いを取り下げ、主に委ねました。従順に信じる姿を教えられます。その思いに応えるように主イエスは、清め用の石の水がめに入れた水をぶどう酒に変えたのです。主イエスは水がめに一切触れず瞬時に変えた、時間の奇跡です。そのぶどう酒は最上級のものだったので、花婿は人格まで褒められました。人生にとって重要な時に、主イエスを招く人は幸いな人です。

11節「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。」最初のしるしを知る人は、召使いたちと5人の弟子とイエスの母、僅かな者たちでした。しかし、このプライベートなしるしを通して弟子が信じました。「イエスがメシアであることを信じた第一歩」になりました。

「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(コリント二5:17) アーメン

類似投稿