「恵みに生きるディアコニア」柳澤 宗光 牧師

申命記26:1-11

コリントの信徒への手紙二8:1-15

本日の聖書箇所は、パウロがコリント教会に、困窮する他教会への献金を勧める場面です。ここでは明示されていませんが、対象はエルサレム教会であり(Ⅰコリ16:1–4、ロマ15:25–26参照)、この「募金」は単なる施しではなく、「神の恵み」としての奉仕、すなわち「ディアコニア」の実践とされています。

特に注目すべきは、貧しさの中にあったマケドニア教会が、苦難にあっても自発的に与えたことです。彼らはまず主に自分自身を献げた信仰の姿勢から、他者に仕える行為へと導かれました。それが「与えることの霊的意味」であり、恵みによる応答です。

パウロは、コリント教会にも再びこの恵みの業に参与してほしいと願い、豊かさをもって欠乏を補う「公平」の原則を語ります。この相互扶助の精神は、現代の教会間関係にも生きるべきものであり、被災地支援や牧師不在教会への奉仕など、今日も続いています。

この教えに共鳴したのが、深津文雄師をはじめとする大泉ベテル教会の先達たちでした。「奉仕女母の家」や「ディアコニア」誌の発刊を通して、キリストに倣う奉仕の精神を実践し続けてきました。

与えることは自由であり、喜びであり、信仰の表現です。教会は「与える共同体」として、主の恵みに応答し、仕える者として歩むべきです。私たち一人ひとりが、今できる範囲で応答し、「ディアコニアの心」を持つとき、教会は生きたキリストの体となります。そしてその働きは、個人から教会へ、地域へと広がっていくのです。

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