「イエスさまの軛(くびき)」森史子牧師
詩編90編1-2節 / マタイによる福音書11章28-30節 2026年8月9日
「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28) 主イエスが、招いておられます。
現代に生きる私たちも、疲れや重荷に苦しみ、安らぎや平安を失うことがあります。
多忙、重責、争い等が、私たちから自由や平安を奪います。そして、愛を感じられなくなり忘れてしまいます。 気づかないうちに「弱さを認めない頑な心」になっています。
主イエスは、「わたしのもとで休みなさい」と呼んでおられます。
「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」(29)しかし、安らぎを得るには条件があります。
「主イエスの軛を負う」のです。軛とは牛や馬を繋ぐ農耕器具です。休む為ではなく働く為の物ですから、戸惑いを感じる人もいるでしょう。 しかし、主は言われます。
「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(30)
主イエスのもとで休むとは、何もしないことではありません。主イエスは私たちが負っているものを、軛によって一緒に担ってくださいます。 主イエスの軛を負うとは、主イエスの隣を歩くこと、主イエスを近くで感じ、主イエスから学びます。軛によって主イエスと結びつけられ、新しい人生を歩み始めるのです。 恵みに感謝します。