「死から命へ」 柳澤宗光牧師

創世記4章1-10 節/ ヨハネの手紙一3章9-18節      2025年11月2日

 

今朝、私たちは信仰の先達を覚え、神に感謝を捧げる礼拝に集いました。彼らの地上での歩みを偲びつつ、今も神の御手の中にあることを信じ、希望をもって礼拝を捧げます。

愛する者との死別には深い悲しみがありますが、キリストにある者にとって死は終わりではなく、「死から命へ」と移される希望が与えられています。聖書は「兄弟を憎む者(Ⅰヨハ3:15)」と「兄弟を愛する者(Ⅰヨハ3:14)」の対比を通して、私たちがどのような希望に生きるかを教えています。

創世記4章では、カインとアベルの「捧げ物」の物語を通して、「人間の罪」と「神の問いかけ」が描かれます。神は「捧げ物」だけでなく、「捧げる者の心」をご覧になります。カインに自分自身で己の「罪を制御せよ」と語りかけます。しかし、カインは怒りに支配され、弟アベルを殺してしまいます。神は「兄弟の血の叫び」を聞かれます。この「命の叫び」は、昇天者の涙や祈り、愛の行いにも通じ、神の前に永遠に記憶されるのです。

Ⅰヨハネ3章は、「兄弟を愛する者」が「死から命へ移された者」であると語ります。先達らは、隣人への思いやり、奉仕、祈りを通して、神の命に生きた証しを残しました。私たちもまた、「行いと真実をもって愛する者」として歩むよう招かれています。

キリストは十字架で命を捨て、復活によって「永遠の命」を示されました。「兄弟のために命を捨てる(Ⅰヨハ3:16)」とは、単に肉体的な死を意味するのではありません。自己犠牲の愛、すなわち時間や労力を惜しまず捧げることです。先達らはその愛に生き、神の愛を実践した方々です。

昇天者の生涯を偲ぶ時、それは、私たちの生き方を問う時でもあります。彼らの信仰に倣い、「兄弟を愛する者」として、神の愛に生きる者となるよう招かれています。

招詞は、「もはや死も悲しみもない(黙示録21章)」と語りました。神は人間の歴史の痛みを終わらせ、すべてを新しくされる方です。先達らはその平安に包まれています。そして、私たちもまた「死から命へ」の希望に生きる者とされるのです。

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